(巻三十四) 一枚の落葉となりて昏睡す(野見山朱鳥)
7月27日水曜日
作務修行は拭き掃除と洗濯。
散歩は図書館へ借り受けに行く。『角川俳句7月号』『一億人のための辞世の句(坪内稔典-選)』他を借りた。
猫との交流は都住2で花子。花子は友達婆さんに抱っこされていたので顔を見ただけ。都住3ではサンちゃんとフジちゃん。サンちゃんは寝そべっていて起き上がらず。フジちゃんはスナックを召し上がる。
帰宅して借りてきた本を捲り以下を書き留めた。
ここ迄はまだ物忘れ山笑ふ(笠井由紀子)
朝顔や食いはぐれたる飯の数(中原道夫)
願わくは昼寝のままの大往生(平井勇吉)
それほど期待していたわけではなかったがそれでも『辞世の句』は期待外れ。
朝顔や食いはぐれたる飯の数(中原道夫)
は辞世の句なのだが、謎だ。復本一郎氏の俳句論では俳句には謎解きの要素が含まれていて、読み手には謎解きの楽しみがある、と述べておられた。謎が解けぬ。
細君の顔の口の横から顎にかけて、小さな赤いポツポツが北斗七星のように出てきた。マスクのためか?人生はなんとかなると図太いがポツポツとか賞味期限とか小さいことは矢鱈と神経質で心配性なのだ。
願い事-電球が切れるが如くで細君より先にお願い致します。怖くない、怖くない。
顔本に
The main thing we were made for is to work with others. - Marcus Aurelius
という警句が載っていた。
そういうことなのだろう。ありがたいことにやっと人人人から遁世。猫に相手をしてもらいながら終わり待っている。歩くのも、飲むのも、独り。
己から人から逃げてサングラス(当銘登)
「謎の句 - 復本一郎」日本の名随筆57謎 から
謎というものは、解けると非常に気持ちがいい、仮名草子に『犬枕』という作品があるが、そこでも、「嬉しき物」として、「人知れぬ情」「町買の堀出し」「思ふ方よりの文」「誂物[あつらへもの]能[よく]出来たる時」とともに「謎立解きたる」があがっている。
俳諧の特質として、滑稽性であるとか、庶民性であるとかが指摘されているが、私は、その一つとして謎解きの要素があると思っている。それは、蕉門俳諧とても例外ではない。俳諧史を貫通して、現代俳句に至るまで、謎解きの要素がある。
ここでは、蕉門の俳人たちのあいだで問題になった謎の句を検討することによって、俳諧における謎解きの要素の一端を窺ってみることにしたい。
まず、其角の句を一句、左に示す。
まんぢゅうで人を尋ねよ山ざくら(其角)