(巻三十二)何するも大安吉日四月馬鹿(山中麦とん)
3月14日月曜日
自室の拭き掃除をしていたら、鶯が鳴いているよ!と細君が喚[わめ]く。ベランダに出てみると囀ずりの尻尾だけを聞けた。暫く再演を待ったが、
鶯や待てどおかわり出し惜しみ(拙句)
であった。
今日は24度まで気温が上がるとのことだが、確かに暖かい!11時ころ長袖の下着を脱いだ。今日は午後3回目の接種をすることになっていて重ね着は避けたいところであったので好都合である。外出用のジャンパーも薄手の物を用意した。
午後2時にリハビリ病院に到着、問診後2時半ころ接種し、2時52分まで待機。出し渋るところを無理矢理出してもらった副作用緩和剤のカロナールの処方箋を持って隣の薬局へ。痛みは1回目と同様に感じず。帰りに生協によりどら焼2個と猫のスナック2袋を買う。
病院での待ち時間に持参した、「スペイン風邪」のころの事を題材にした作品のアンソロジー、
「『文豪と感染症』解説 ー 岩田健太郎《副題「感染症屋」より、疫病学的見地から》」朝日文庫から
をコチコチと読む。
《マスクと言えば、菊池寛の「マスク」も面白かった。本作の主人公は太っている。昔は肥満体は健康の証だった。しかし、明治・大正のころから医学情報が変遷し、肥満はむしろ不健康の証拠となってきた。ちなみに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)でも肥満は死亡リスクであり、我々が診療している重症病棟には肥満した患者が多い傾向がある。コロナ対策として、現場の医療者が密かにおすすめしているのは、ダイエットだ。
病気を恐れた「マスク」の主人公は外出を避け、そしてマスクを着用する。自らマスクを着用することを正当化しようとし、「臆病でなきして、文明人としての勇気だと思う」という。しかし、結局、その主人公もまた春になり、初夏になって暖かくなり、そんな気候のなかでマスクを着けるのが嫌になってしまう。そんな主人公がマスクをしないでいるとき、ある青年がマスクをしているのを見て、それを不快に思うのだ。なぜ、主人公は他人のマスク姿に不快に感じたのか。それは本編をお読みいただくのが良いと思うが、「周囲と異なる行為を敢えて行う勇気、そしてそれに対する不快感」は当時から日本にあった強い同調圧力の表現なのかもしれない。さすがは、菊池寛。現代の「文春砲」に通じる文藝春秋の創始者である。日本人の習性への理解や観察の鋭さ、的確な批評には脱帽だ。》
などと感染症屋と自称する医学者(神戸大学大学院医学研究科教授)の19頁に及ぶ長い長い解説がついている文庫だ。
https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/38403320
願い事-生死直結で叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。特に接種による不具合はない。
マスクして命少々惜みけり(大西順子)
All the problems are stuck between “Mind” and “Matter”. If you don't “Mind”, it doesn't “Matter”.
そうかもしれないな?