(巻三十)芒の穂双眼鏡の視野塞ぐ(右城暮石)
8月15日日曜日
雨音のする涼しい朝である。今日は9月中旬くらいの気温らしい。濃い灰色のティシャツにしてみた。
涼しさは葉を打ちそめし雨の音(矢島渚男)
『60歳からの新・幸福論(宝島社)』を読んでいる。《13人の賢者が明かす老後の生活と考え方》というコピーがついている。
賢者が誰かというと:
曽野綾子、田原総一朗、弘兼憲史、池田清彦、志茂田景樹、荻原博子、菊池和子、近藤誠、中村仁一、中島義道、勢古浩爾、鈴木秀子、内海桂子
の各氏である。
池田先生、近藤先生、中村先生は従来のお考えをここでも展開されています。中島先生は一層ひねくれてきたようで、内容的にも私には無理!
曽野綾子、田原総一朗、弘兼憲史、菊池和子、鈴木秀子、内海桂子の各氏はサラッと捲ってパスした。
勢古浩爾氏に掴まった。庶民の視点で論が展開されているから読む気になる。How Toものではなく、むしろボヤキであり解決策などを示していない。例えば、
《そもそも定年後は、「定年まで、自分がどのように生きてきたか」の延長です。定年になって、新たにリセットされて、何かが新しく始まるわけではない。それは、今までどう生きてきたかに尽きている。金が貯まってなければ、それ以後も貯まらないだろう。急に健康になるわけでもなければ、ズボラだった性格が真面目になるわけでもない。それなのになぜ、「老後資金は大丈夫か」「○○を食べないと長生きできない」などの言葉に怯え、大学教授や大企業に勤めた人たちの定年本を読むのか不思議でならない。》
《定年を迎える人の大半が抱える不安は、お金の問題だろう。もし少なければ、働くしかない。単純な話である。私は年金を60歳からもらっている。通常より5年早くもらっていることになる。年金には繰り上げ支給という制度があるが60歳からもらうと、65歳からもらう満額の70パーセントしかもらえない。「76歳8カ月以上長生きすると、65歳からもらったほうが得になる」-。私はそれを承知のうえで迷うことなく60歳からもらった。
というのも「70歳まで生きられないかもしれない」とか、「生きているうちにもらわないと意味がない」」と思っていたからだ。もうひとつの理由は、文筆業という職業柄、会社員時代と違って収入が見通せなかったからである。つまり、65歳からなんて悠長なことは言っていられなかったのだ。》
《早めに定年の準備をしておきなさい、というのは言葉のうえではもっともである。だが、今を生きるのに精一杯で、給料がカツカツなのに、定年後のことを考えて準備することができるのか。少なくとも、私の場合はそうだった。だから、そんな非現実的なことを「アタマで考えて言ってもダメだ」ということである。実際、30歳代のほとんどの人は定年準備などできるはずがない。30歳代から定年後の準備をすることは、「悩みの前倒し」をするようなものである。
現在の40~50歳ぐらいの人でも事情は同じではないだろうか。仕事があり、会社の業績は芳しくない。家や車のローンのほかに保険などの固定費があり、小遣いは月2万~3万円。これで、どんな準備をしろというのだろうか。》
などの論を展開して、
《なんともならないのが現実である。それをなんとかしようとするから無理が出るのだ。あるいは、自分だけ得をしようと考えるから、失敗するのである。定年後はなるようにしかならない。人生と同じである。人間は意志し、行動する。だが、それでもなるものはなり、ならぬものはならない。》
とまとめていらっしゃる。
荻原博子氏の論は無駄遣いせずにどう金を残すかというHow To論である。キッパリと庶民の側に立って論を展開しているので痛快であるが、どうも自信タップリ過ぎるところが気になる。
志茂田氏の作品は読んだことがない。もう一度“論”を捲って、読むか読まぬか決めよう。
朝日俳壇:
短夜や夜半に激しき雨の音(下道信雄)
を書き留めた。長崎市とあり。
本日は四百歩で階段は2回でした。つまりゴミ捨てと郵便受けに別々に行きました。
願い事-叶えてください。苦しめずに叶えてください。