(巻ニ十八)満月に落葉を終る欅あり(大峰あきら)
2月26日金曜日
家事:洗濯、洗濯だけだった。雨が降りだしそうで部屋干しにする。
散歩:雨を気にしながら、郵便局へ転居届の用紙を貰いに行く。転居して4年が過ぎた。今までのところ借家への転居は正解だったが、終わってしまうまで分からない。
ついでに生協で買い物をした。みかんの20%引きを買ってしまい彼奴に文句を云われた。パン、肉、納豆、牛乳などは賞味期限を見て選ぶ習性が身に付いたが、野菜系統にはそんなに神経質になることもなく、そこにあるものを掴んでしまう。みかんは私しか食べない。6、7個だから食べ切るのに一週間くらいはかかるが腐るということもなかろう。
本日は二千八百歩で階段は2回でした。
読書:
『「月ふたつ - 永井路子」日曜日の随想2007 から』
を読んだ。この随筆の題「月ふたつ」は月を詠んだ二首によるらしい。それらは、
心にもあらでうき世にながらへばこひしかるべき夜半の月かな(三条院)
と
この世をばわが世とぞ思ふ望月のか[難漢字]けたることもなしと思へば(道長)
で、文中に紹介されている。
この道長の傲岸不遜な歌のいきさつを面白く読んだ。
《 彼の有名な
この世をばわが世とぞ思ふ望月のか[難漢字]けたることもなしと思へば
も、別の解釈をせざるを得なくなる。哀れな三条帝の歌に比べて、なんという傲岸不遜[ごうがんふそん]-といわれているが、じつはここに例の意地悪実資卿がからんでくるのだ。
道長は三人の娘をそれぞれ天皇のきさきとして入内させ(それが権力を握る必須の条件だった)、喜びの絶頂にあった。
-やっとここまで来たな。
いささか自祝の思いをこめて作った歌を、宴の席で実資に見せて返歌を求めたのにはわけがあった。ところが実資は逆手に出た。
「こんなすばらしい歌へお返しはできません。さあ、御一同、名歌の御唱和を」
一同は大合唱。おめでたムードは盛りあがったが、これは実資の「返歌などするものか」という肩すかし、「褒め殺し」なのである。実資の返歌を褒めるつもりの道長の作戦は、みごとに裏をかかれた。しかも歌そのものは道長の日記にも『栄花物語』にも出てこない。書いてあるのは『小右記』だけなのに、なぜか後世にひろまってしまった。》
御説に依れば、うまく遣われて悪役のイメージを固定されてしまったわけかな?
これと合わせ読みして面白いのが、
『「灰になれ - 森絵都」ベスト・エッセイ2020から』
である。
《ひとたび振り返れば、誰しもけっこう恥ずかしい手紙を過去にしたためているのではないか。
少なくとも私にはある。
幼なじみのヒロちゃんに手紙を書いたのは、まだ文字を覚えたての五つか六つの頃だった。おそらく人生初のその手紙は〈ぜっこうじょう〉だった。もう一人の幼なじみ、ケイちゃんをめぐる三角関係の末、私はヒロちゃんを見切るに至ったのだったが(絶交状を私に教えたのは姉だった)、驚いたヒロちゃんはママに相談し、ヒロちゃんのママはうちの母に相談し...結局、なんだかものすごく怒られて終わった記憶がある。
中学生の時には仲間と一緒に〈予告状〉をしたためた。給食の時間、クラスの担任が「プリンが一つ足りない」騒ぎ立て、誰かが二個取ったに違いないと決めつけてしつこく犯人捜しをしたことに腹を立ててのことだった。そんなに生徒を疑うのなら、こっちも受けて立とうではないか。犯人になりすました私たちは「次はクレープをいただく」との予告状を担任宛に送り、結果、給食にクレープが出た日は物々しい厳戒態勢のもとで配膳が行われることとなった。
高校時代、つきあっていた彼と別れた際には、「これからもがんばって夢を追いかけてね」と思いをこめて綴った手紙を渡し、「『夢』って漢字が間違ってたよ」と指摘された。
どれもこれも燃えて灰になれ、と思う。 》
ということで、相手に渡ってしまったら、あとはどうしょうもない。
手紙・メールに限らず何かすれば失敗や恥ずかしいことは伴う。生きていれば、みっともないことが伴うのは仕方ない。
永井路子氏のこの随筆には他にも訓とすべきことがさらっと書いてある。いずれ、ご紹介致したい。
願い事-叶えてください。今までのところ、文句を云えば罰のあたる渡世をして参りました。あとはどう終われるかだけです。宜しくお願いいたします。