(巻二十八)アスファルト地獄に出づるみみずかな(瀧澤静)
1月3日日曜日
巻二十八は夏に巻いたようで季節感がまったくずれていますが、仕方がない。
世の中のことが知りたくなくなると駅伝もサッカーもラグビーもどうでもよくなってしまう。これはあまりよいことではないのだろうが、“死人”に耳なしである。
考えず読まず見ず炬燵に土不踏(伊藤松風)
こうなってくると痴呆予備群の一人だが、呆け防止は俳句と英語と思い精進している。今日は日曜日だが朝日俳壇は休みだそうだ。細君にそこだけはまわしてくれと云ったら、そう言われた。
呆けとは違うのだろうが足算を間違えた。買い物の精算・請求を出したら検算で誤りを指摘された。此方は携帯の電卓で彼奴は暗算である。
散歩:
高校コースから足を延ばして桜通りから教会を経て新道を渡り、お寺の前を通って曳舟川に出て、ローソンでピザまんと箱酒といたした。途中の横断歩道で斯様なもの出合って一撮した。
忘れられそれでも待つわ防寒着(駄楽)
本日は四千八百歩で階段は2回でした。
雑事:
駅伝の結果をどうしても話したいらしく、しつこいので聞いてやった。逆転で駒澤大学が優勝したそうだ。「そう、どっちにしても坊さんの筋だな。」と申すと、何宗かと食いついてきた。「禅で曹洞宗で永平寺だ」というと何派だと詰めよってきた。妙心寺派とかがあることは知っていたが、ここで降参した。
そこで、浅草生まれを鼻にかけている彼奴に「金龍山浅草寺」は何派だと逆襲した。
顛末はさて置き、此方の底本は以下の通りである。
「百寺の旅 千所の旅 - 五木寛之」ベスト・エッセイ2006から
《若いころ九州から上京して以来、浅草の観音さまには何度となく出かけている。いまはなき国際劇場で、SKDの踊り子さんのラジオ番組を構成していたころなど、境内を通り抜けの道として気軽に使っていたものだ。
「で、浅草寺はいったい何宗の寺なんだい」
と、あるとききかれて立往生したものだった。浅草の観音さま、と気楽に呼んできたものの、正式の宗派となるといささか困る。
「たしか金龍山浅草寺といったと思うけど」
「それはわかっている。どこの宗派の寺かときいてるんだ」
「うーむ」
絶句したのが口惜しくて、いろんな人に同じことをたずねてみると、意外なほど答えられない相手が多い。下町通を自称する編集者にきいてみても、けげんそうな顔をするだけだった。
「浅草寺にそんなものあったっけ」
などと、ひどいことを言う相手もいる。たしかに無宗派を名乗る寺は、ないわけではない。長野の善光寺が、無宗派の寺であることはよく知られている。
じつは私も知らなかったのだが、現在、浅草寺は聖観音宗[しようかんのんしゆう]の寺である。天台の流れをくむ一派だが、浅草寺の始まりが奈良の東大寺よりも、比叡山延暦寺よりも古いと知ったときは、やはり驚いた。
寺伝、というのは、おおむね後世につくられた物語りのようなもので、かならずしも歴史ではない。歴史ではないが、まったくのフィクションでもない。物語りに化構された真実というものが、随所に見え隠れするところがミソである。伝わるところによると、浅草寺は、漁師が隅田川から拾いあげた観音像をまつった堂宇[どうう]から始まる。西暦六八二年というから、これは古い。奈良の東大寺が七四五年の創建というと、それより百年以上も古い寺が浅草寺ということになる。》
今度、静かな都心に出て行くことがあったら静かな浅草を荷風になったつもりで歩いてみようか。
冬晴れや観音様の薄き胸(山尾かづひろ)
彼奴は今年の正月の年用意で足りなかったものなどの反省メモをつけていた。今年の暮は云々と申していて、生きていろと言う。幸せ生きられるかどうかというのは考え方次第だなあ!羨ましい。
味噌しようゆ切らさぬほどの年用意(園部佳成)
願い事-叶えてください。彼奴よりは絶対に先におさらばさせてくださいませ。
寝酒はせずに寝た。