(巻二十六)鮪より分厚く降ろす初鰹(上田信隆)
9月11日金曜日
昼頃、突然の雷鳴と雨で洗濯物を慌てて取り込んだ。
それが今日の出来事で、ほかは特になし。
散歩はコンビニから生協で絵になる物はなし。
買い物リストに鶏肉があり、指定の部位で賞味期限内(今日まで)の物で特売-20%引き-の品を買って帰った。
今晩の食材だからよかろうと思って買った。褒められると思ったら怒られた。
物差しの違ふあなたと心太(平野みち代)
本日は二千六百歩で階段二回でした。
細君は友達に電話していたが、その友人は遠雷に敏感に反応する犬を飼っているらしい。
遠雷にまず気付きたる猫の耳(濱松智弘)
犬の話が前菜で話は展開して行く。
その友人はいろいろな病気のことを体験的に詳しいらしく、細君はいろいろとその体験的知識を分けていただいていた。
短夜のいのち拾ひし物語(大堀鶴侶)
体験談を盗み聞きした範囲ではすぐということはなさそうだ。が。
体験的病状説明で思い出すのが黒沢映画の『生きる』だ。病院の待合室で主人公(志村喬)が悪魔の使いのような人物から体験を聞かされるシーンだ。
木枯らしにブランコすこし揺れて鳴り
気分はつまりゴンドラの唄(相原法則)
読書:
今日は『樟の森 - 立松和平』をコチコチしているが、なかに
大楠の枝から枝の青あらし(山頭火)
が紹介されていて、以下が立松氏の解釈です。
《 山頭火は実際に枝や葉が騒ぐ嵐を見たのではないと思う。枝ぶりが見事というよりも、これほどに巨大な命の賑わいに圧倒されたのではないだろうか。そんな驚きの表現として、青あらしといったのである。命が波打つさまとしては絶妙の表現である。 》
願い事-叶えてくださればありがたい。