(巻二十六)わがくらしいよいよ素なり根深汁(深川正一郎)
6月20日土曜日
わがくらしは質素でありそれでよいのだ。静かであればなおよろしい。
しかし、衣食住のいずれも育ったころに比べれば雲泥の違いであり、随分と贅沢に暮らしているとも言える。(六畳に四人で暮らしていたが、今は一人で使っている。毎日豚肉か鶏肉かを口に入れている。ツギのあてていないパジャマを二日に一度取り替えている。)
散歩と買い物
貸出予約をしていた『荷風さんの戦後-半藤一利』と『日本の名随筆8-野坂昭如編』が届いたとメールが入ったので図書館へ行った。
自宅からネットで予約して最寄りの図書館で受け取れるのでありがたい。
狙いを付けて行って書架で捲ってみると読みたくなくることが多い。『「下り坂」繁盛記ー嵐山光三郎』を読んでみようかと思っていたが、今日書架で発見してしまい捲って元に戻した。
著者と題名だけで予約して、とにかく受け取ってしまった方が結果的読むことになるようだ。
しかし、これも随分と贅沢なことをしていると思う。荷風の方は立石図書館の蔵書で名随筆8は中央図書館の蔵書だ。手間と銭とが随分と掛かっているのだ。
本日三千七百歩と階段三回でした。
読書:
昨日まで人のことかと思ひしが
おれが死ぬのかこれはたまらん(蜀山人?)
という蜀山人の辞世らしい歌を知りました。
人の死には驚かないが自分のことになれば“生死重大”で大変驚くわけだ。
《 そもそも大半の人間にとっては、死の形態云々の前に、死の到来そのものが大意外事らしい。人間は他人の死なら、どんな死にも驚かないが、自分の死だけには驚く虫のいい動物である。死ぬことはわかっている。が、「いま」死にたくないのだ、と、みんないう。そのいまは永遠のいまである。
人間が平気な顔をして生きていられるのは、その「いま」がわからないからである。》
私も大混乱するでしょう。だからこそ、願い事を叶えてください。