(巻二十五)足許を見る商ひや花めうが(中原道夫)
3月27日金曜日
少なくとも近所の生協では値段の吊り上げはない。
吸気扇の修理に電工さんが来てくれました。
ユニットごと取り換えて15分の作業で終わりました。自宅であれば数万円の出費になったでしょう。家賃は安くはないが、保守や環境・清掃などについて家賃と管理費以外に負担がないのがありがたい。
団地老いて昭和の桜いま盛り(中島修之)
当番も、近所付き合いもなく、面倒はないが借家だから持ち家に比べれば不安定で終いの棲み家とは言えない。社会や経済の激変で居場所を失うことがあるかもしれないが、何事も棺に入るまではわからないのだから心配しても仕方がない。いや、棺に入れてもらえるかさえ不確かになってきたようだ。
菊添えてそつと手帳を棺の底(宮万紀子)
(読書)
「寿命は定まっている - 水野肇」中公文庫 夫と妻のための死生学 から
《 さいわいにいい遺伝因子を持って生まれた人以外は、八十五歳までに死ぬのである。しかし、八十歳まで生きることができれば、結構なことだという考え方もあるだろう。ただ長く生きているだけが能ではあるまい。毎日、何もすることがなくて、ただ生きているという生活を送るのは、一種の苦痛なのではないだろうか。もっとも、脳が老化して、それを感じないようになっているとしたら、それは“尊厳生”ではないだろう。》
暇潰しは作れるかもしれないが、虚しさは誤魔化せないだろう。ボケるか死ぬかしかないが、自分で自分をそこへ持っては行けない。
生かされて生きてしまつたこの四年
桜の花は今年又咲く(川崎康弘)
イタリアは七十で線引きしたんですか?罹病してそうなったら仕方がない。もはや「不要不急」の人間だし、どうしても生きていたいという執着もない。
線引きしてもいいですが、苦しみの期間は短くお願いいたします。
できれば猫によるアニマル・セラピーなんぞを受けながら逝きたいと願っておりましたが、無理ですね。