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「カメレオン ー 筒井康隆」私説博物誌

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「カメレオン ー 筒井康隆」私説博物誌

カメレオン

時、所によって態度や考え方がころころ変わるひとのことを「カメレオンのようだ」とか、「猫の眼のようだ」とか形容するが、むろんこの場合には軽蔑の意味がこめられている。つまり悪口である。環境への適応が早いひとの場合にもそういう表現を使うが、褒められてしかるべきそうした適応能力さえ、カメレオンだの、猫の眼だのと形容されるとどうしても悪口になってしまう。考えるにこれは、 環境が変化しても急に適応できないひとというのが概して老人に多く、自分たちにはないそうした柔軟性を打算や気まぐれや軽薄さと混同して、ともすれば軽蔑したり憎んだりするため、打算、気まぐれ、軽薄さ用の侮蔑的形容が、 そうしたものを批判しなければならぬ社会的立場の保守的老人たちによってついつい環境適応能力にまで応用されるようになったのであろう。
では、その環境適応能力とはいったい何だろう。風土に馴化[じゅんか]することも適応と呼ばれるし、文化の接触によるアカルチュレーションも適応だし、生活を有利にするために習慣を作ったり、変えたりすることも適応である。アカルチュレーションを除けば、人間以外の動物にも多かれ少なかれある能力である。しかし、一般的には、社会的順応だけを指して適応といわれているから、これはやはり人間が社会的活動をする上での重要な能力であることには違いなく、 決して軽蔑されるような能力ではない。老人に対してはいささかきびしい言いかたになるが、適応能力の乏しさが生命力の衰え、過度の自己主張、怠惰、傲慢などのいずれかと関係しているらしいことは、多くの実例からわりあい容易に想像できるし、これらが老人の特徴であり、その特徴が環境と衝突するところから起こる病気、つまりストレスからの高血圧や胃炎などが適応症候群と呼ばれていることからもわかるのである。老人の場合には、もはや固着してしまった自我を守ろうとするところからそうなるので、これはある程度許せるが、最近よくお眼にかかる、まだ守ろうとするほどの自己も持たぬ若者のこういう能力の欠如こそ、むしろ軽蔑すべきではないだろうか。だから逆に、不況のためずいぶん無理をして、長髪を断ち、背広を新調して就職運動に駆けまわっている大学生などは、適応への訓練をしているのだし、それが本来そうあるべき態度なのだから、長髪、ひげ、ジーパン姿で就職試験にやってきた好況時代の非常識な大学生に比べてむしろ褒められるべきであり、決して揶揄したり、軽度したりすべきものではない。好況時代に傲慢な大学生にぺこぺこさせられたため、不祝時代の受験生をいじめることによってその仕返しをしている大企業人事課の連中こそ、大人気がない。
いかに過心態力に恵まれていようと、違った環境の中へ投げにまれた人間がただちに習慣をがらりと変えることはできない。カメレオンも、赤い部屋に入れたらたちどころにまっ赤になり、青い紙の上へのせたらすぐまっ青になるというような、ふつうそう思われているようにネオンサイソみたいな変わりかたをするわけではないのだ。せいぜい、 ふだん森の中の繁みにじっとしている時は褐色とか緑色とかあたりの葉に似せた色で、たまたま日光の照りつける道路を横切ったりする時に、茶色とか黄褐色とか地べたに似せた色になるという程度である。そのほか、怒ると褐色よりもさらに暗い色になったりもする。これはどういう仕掛けやそうなるかというと、現在までにわかっているとくろでは、皮膚の色素細胞の変化でそうなるのである。ちょっとややこしいが、少し説明すると、そもそもカメレオンのからだの表面というのは、皮膚が変化してできた顆粒状の鱗で覆われている。つまり、あの気持の悪いぶつぶつだらけである。このぶつぶつが拡大されたカラー写真を妻に見せたところ、妻はきゃっと呼んで顔色をなくしてとんで逃げ、裸足で庭へ駈けおり、塀ぶち破って隣家の庭から縁へ駈けのぼり、茶の間にいた隣家の猫の顔を掻きむしった。それぐらい気持が悪い。
さて、このぷつぷつの内側には、まずいちばん上に黄色の細胞、その下に白色の細胞、さらにその下には、黒とか、褐色とか、赤とかの色素細胞がある。比較的大型のこの色素細胞には突起があり、これが皮膚の表面近くにまで出てきている。そしてまた、この細胞は筋繊維にとり囲まれていて、ここへ反射中枢から神経が来て分布しているのだ。温度とか、光の量とかが変わったり、あるいは怒ったりすることによって反射的に筋繊維が動き、それによって色素細胞が伸び縮みし、いろいろな色彩に変わるのである。
トカゲ目カメレオン科カメレオン (Chameleon) は、からだの色を変えること以外にもいろいろな特徴を持っている。第二の特徴は、獲物を捕えるのに使うあのながい長い舌である。自分のからだの全長ほどの場所にいる獲物を捕えたりもする。舌の先からねばねばした分泌物を出していて、これに虫をくっつけるのであるが、虫が濡れているとすべって捕えそこなうというから面白い。
第三の特徴が眼である。眼球が両側ににゅっと突き出ていて、左右の眼球が別べつに動く。だから前後とか左右とか上下とかを同時に見られる。動かす時は半円を描くようにしてくるりくるりと、互いの動きに関係なく回転させる。 だから右の眼で上を見て、左の眼で前を見たり、左の眼でうしろを見て、右の眼で下を見たりすることができるのだ。環境に早く適応できるひとが鋭い観察力を持っているのと同じことである、などというと少しこじつけめくが、しかし、このカメレオン、からだの色を変えるのはほとんど眠で見た色彩の影響によるらしい。たとえば、同じくからだの色を変えるアマガエルなどは、足の裏の刺激によって変えるのだそうだ。なぜそうしたことがわかるかというと、 カメレオンの場合、ためしに眼を潰してしまうともはや周囲の色彩には完全に適応できず、不充分にしか色を変えることができないのだそうである。アマガエルの場合はどうしてわかったのかよくわからない。足の先をちょん切ったのだろうか。
適応というのは、多かれ少なかれ利害に関係がある。しかし、だからといってあまりにも露骨な変身ぶりを見せる人物というのは、たいてい嫌われる。なぜ嫌われるかというと、利害打算のためと開きなおるその開きなおりかたが鉄面皮だからで、たとえば戦中から戦後にかけて一八〇度の思想的変身ぶりを見せた連中にしても、こうしなければ生きていけなかったからだなどといって自らに何ら恥じるところがないから嫌われるのである。それは単に保身というだけにとどまらず、利益を得ようとしている下心が見え透いているからだ。だいたいにおいて思想というものは、 本来利害打算などとは別の次元に属するものであるとたいていのひとが思っているので、思想的変節によって利益を得ようとすることがとてつもなくいやらしく見えるのは当然のことである。そのいやらしく見えることを、いやらしく見えることがわかっていながら平気でするというのも適応不能と同様、社会人としてはやや異常であるといっていいだろう。ぼくは、これを過剰適応の一種であると思う。
一方、どうしても環境に適応できないという人がいて、こういうひとがよく自閉症になったり、攻撃的になったりするわけだが、よく考えてみると自閉症になったり、攻撃的になったりするのも、そのひとの唯一の適応手段であるといえるのだ。だから心理学の方ではこういう場合に不適応ということばは使わない。異常適応ということばを使う。 ぼくがさっき過剰適応ということばを使ったのもそのためである。
人間は本来、自分に向いていることとか、自分の好きなこととかをしようとするので、自分にそういう仕事をさせてくれ、それを認めてくれる環境には容易に適応する。だから過剰適応者、異常適応者がたいへん多い社会というのはあきらかに悪い社会である。
過剰にしなければならぬ職業もある。テレビのアナクンサーとか司会者などは、番組なり相手なりによって考えかたを切りかえねばならず、弁護士にしても依頼人によって立場をころころ変えなければならない。ところが、彼らの論旨は非常に明快である。ぼくにはあれが、嘘をついている人間特有の明快さではないかと思えてしかたがない。 これは悪口ではなく、過剰適応そのものが適応になるという一例であって、こういう才能をまた必要な場合があるのだ。
過剰適応者というのは、もともと自分がいちばんやりたいことを持っていないとか、何でもできると錯覚しているとか、これが自分にいちばん向いている仕事なのだと自分に思いこませる自己催眠術に長けているとかいった人たちであろうが、なかなか思いどおりの仕事に恵まれないという悪い社会では、こうした過剰避心者がふえる。こうした連中は、それぞれの仕事が本当に得意というわけではないので、ずいぶん変な事故が続出するだろう。水道屋は水道管を破裂させ、外務大臣は各国首脳を張り倒し、電気屋は感電し、医者は患者に毒を注射し、セールスマン主婦を殴り、警察庁やくざを見て逃げ、アナウンサー舌を噌み、大工屋根から落ちるといった按配[あんばい]である。


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