1月12日日曜日
寒々とした日曜日です。日曜日に家事を集中してやるのはあたしがまだ働いていた頃の名残でしょうか。掃除、洗濯、窓拭き、新聞片付けなどが日曜日の午前に集中します。
雨風はないが、冷えて曇っている。散歩日和ではないし、風邪でもひくとよくない。籠って昼寝と致した。
老人の日々縮みゆく寒さかな(駄楽)
日曜日には朝日俳壇を届けてくれる。俳壇賞が選ばれていたが書き留めた句はなく、書き留めた句は
ひと昔前はと独楽のよくまわり(青木久仁女)
と
結局は乗り遅れたる白き息(三宅久美子)
でした。
新聞片付けをしていたら、新聞社がやった三千人規模の調査結果が至極もっともらしく出ていた。
「幾つまで生きたいか?」と云う問いがあり、答えが六十代から九十代までほぼ均分に分かれといるので意外に感じた。どうせ平均余命プラスアルファで八十代に集まるかと思っていたので六十代、七十代が票を集めているのがやや意外であった。しかし、健康寿命から考えれば、七十代でおさらばと云うのは一つの逝き方であろう。金の面でもまだ余裕があるうちに逝ったほうが切羽詰まるよりは生きてきてよかった感が少しはあるだろう。
余命とは預金残高ちちろ鳴く(野副豊)
それに、努力して生き甲斐を造り出して、なんとか生きていること意味を持たせて騙し騙し生きているのも面倒だ。
物捜がす机の下や冬籠
それはそれとして、無作為抽出らしいが調査に回答した人の年齢はどうなのだろう。あたしもそうだが、大体六十過ぎれば自分の年齢に五年から十年を足して答えるじゃなかろうか?
全回答者が四十代というのなら意味もあるかな。どうもよくわからない調査記事だ。
「サマーセット・モーム『雨』 - 村松友視」文春文庫 青春の一冊 から
を読みました。
《 そこでいま、私はやっと青春の一冊に向かい合おうという構えが生じた。とにかく、この一冊からスタートしなければ埒[らち]があかない。そして、新潮社のサマーセット・モーム全集を手に入れようとしたらこれが絶版、仕方なく今はなき叔父の本棚からこれを引っ越させた。そして読み始めてみると、モームがきわめて屈折した作家世界で右往左往したタイプだということを痛感し、俺にはふさわしい愛読書と腑に落ちたりして、青春の二文字とはまるで別世界だ。しかし、こういう青春の後追いもないわけではないと、中年っぽい独り言を呟くのが関の山というあんばいで、どこまでいっても“青春”には爪がかからないという情けないありさまだ。》
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(巻二十四)物捜がす机の下や冬籠(会津八一)
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