2/2「「バザール」の雰囲気のある町-板橋 - 川本三郎」ちくま文庫 私の東京町歩き から
商店街は板橋駅にぶつかる。駅前はロータリーになっている。最近はJRは高架線化がすすみ、“町より上の駅”がふえているが板橋駅は昔ながらの、“地面についた駅”である。旧中仙道はだからここで踏切りを渡ることになる。
板橋駅は住居表示でいうと板橋区の東のはずれに位置している。旧中仙道をずっと西から日本橋に向かって歩いてきたわけだが、板橋区はここで終る。踏切りを渡ると北区になる。夕方になるにつれて空の具合がおかしくなってきた。雨がぽつり、ぽつりと落ちてきた。散歩をやめて帰ろうとしたが、踏切りの向こうを見やるとまた小さな、面白そうな商店街が続いている(まったく旧中仙道はすべて商店街の連続である)。地図をみると町名は北区滝野川である。
板橋駅前の雑貨屋でビニール傘を買い、踏切を渡って北区滝野川に入った。
踏切りを渡ってすぐ右に一軒古本屋があった。散歩の楽しみのひとつは偶然見つけた古本屋に入ることである。実はこの日、ここまでくる途中に古本屋は二軒あったのだが残念ながら二軒ともいまひとつ古本屋としての風格に欠けた。
それでこの踏切り脇の古本屋にも期待せずに入ったのだが、これが予想以上にいい古本屋だった。古い、いい本がたくさんある。何年も前から探していた田山花袋の『温泉周游』(昭和三年、均整堂)が無造作に置いてあった(これはなかなかいい値段だったので残念ながら“衝動買い”はできなかった。)。それに何よりうれしかったのは映画と演劇の本が充実していたこと。子どものころ夢中になって読んだ『映画の友』が何冊もあった。古い映画のプログラムも多い。ただどれも値段が高い。まあ「いい本は値段もいい」のは当然だから仕方ない。ここにはまた別の機会に来ることにした。名前は「木本書店」といった。おそらく地元ではよく知られている古本屋なのだろう。
この「木本書店」のななめ前にも古本屋があった。「坂本書店」という。こちらは対照的にマンガを中心とした雑本が多い。ただし“あなどれない”のはそのマンガの量の膨大なのと並べかたがマニアックなくらいにていねいなこと。ジャンル別、マンガ家別にきれいに並んでいる。さらに驚いたのは、懐しの歌謡ポップスのシングル・レコードがこれまた膨大にあって歌手別にきれいにコレクションされていること。こういう“こだわり”をもっている古本屋はたとえマンガとレコードでも、“おぬしできるな”という感じがする。店主は三十代前半の感じだった。
ずっと旧中仙道ばかり歩いてきたので少し左右の路地に入ってみることにした。「坂本書店」の脇を左に曲がってみた。そこも細い、小さな商店街がある。花屋豆腐屋、寿司屋.....とこれまた小さな商店が続いている。東京は本当に商店街が多い。まさに「バザール(市場)都市」である。東京を代表する銀座、浅草、秋葉原といったビック・タウンが「バザール」性をもっているだけでなく、東京のはずれの北区のこんな小さな商店街ですら「バザール」の雰囲気を持っている。東京散歩が楽しいのはそのためだと思う。
この商店街には小川未明の童話が何かに出てきそうなおじいさんが一人でやっている小さな小さな時計屋があった。まるで玩具の店みたいだった。思わずうれしくなって写真を撮った。看板は「とけい屋」とあった。ガラス越しに老主人が時計を修理している姿が見えた。老人が死んだらこの店も終りなのかもしれない。
この時計屋の近くの路地にはなんと井戸があった。近くの花屋のおかみさんに話を聞くと「一カ月ほど前にポンプが壊れてしまっていまは一時的に使っていないけれど、まだ水がでる井戸」だそうだ。三十年以上もこの井戸水を使って花屋の店先を掃除しているという。「このあたりはまだ地下水をくみあげている家がたくさんある。豆腐屋も、そこのうなぎ屋もそうだよ」
ただ、ご多分に洩れずこの小さな古い商店街も、近くに高速道路が通ることがきまっていまテンヤワンヤの真っ最中なのだそうだ。
そこからまた駅前商店街(旧中仙道)に戻りこんどは日本橋に向かって右の路地に入ってみた。「谷瑞市場通り」という小さな商店街があった。商店街の中心に小さなマーケットがあるところからそういう名前がついたらしい。そのマーケットはまさに昔ながらのもの。下北沢とか吉祥寺とかにいまだに残っているマーケットに比べると規模は小さいが、活気はまさるとも劣らない。魚屋、焼鳥屋、天ぷら屋(正確には惣菜屋か)、肉屋、また魚屋、瀬戸物屋がびっしりとまるで佃煮のようにくっつきあっている。夕方の買物時間だったのでどの店も近所の主婦で賑わっている。
なかでもいちばん面白かったのは魚屋の店先。安くて生きのいい魚が並んでいるのだがそのなかに何と呼べばいいのかマグロの切り身を山盛りにしたコーナーがある。冷凍マグロの余分なところを切り落とした“はんぱ”なものを山盛りにしてある。パンでいえば耳ばかりあつめたようなもの。“ふぞろいなマグロたち”がごろごろと積んである。客はそれを適当にビニールの袋につめこんでハカリではかってもらう。“はんぱ”ものだからなにしろ値段は安い。一キロ千五百円程度だった。これまでいろんな魚屋を見てきたがこういう“ふぞろいのマグロたち”の売り方ははじめて見た。アイデアである。
雨の降りが強くなってきた。夕暮れが迫ってきた。そろそろ旧中仙道散歩も終りである。路地を抜けて板橋駅の東口に出た。駅前にはなんと「近藤勇と土方歳三の墓」があった。近藤は慶応四年下房流山で捕われて滝野川三軒家にあった板橋刑場(さきほどの踏切り近く)で処刑されたのだという。首は京都におくられたが胴はここに埋められた。(その後近藤勇は故郷の三鷹に遺族が別に墓を作った)
板橋駅から電車に乗って帰ろうとしたがふと駅前の横の路地を見ると小さな飲み屋街が線路にくっつくような感じである。その名前が「ほろよい横丁」。名前にひかれてついそちらに足が向かった。
そのなかの一軒の和風居酒屋に入り、ひとりでビールを飲んだ。踏切りのチンチンという音がひっきりなしに聞えてきた。
雨の降りが強くなってきた。夕暮れが迫ってきた。そろそろ旧中仙道散歩も終りである。路地を抜けて板橋駅の東口に出た。駅前にはなんと「近藤勇と土方歳三の墓」があった。近藤は慶応四年下房流山で捕われて滝野川三軒家にあった板橋刑場(さきほどの踏切り近く)で処刑されたのだという。首は京都におくられたが胴はここに埋められた。(その後近藤勇は故郷の三鷹に遺族が別に墓を作った)
板橋駅から電車に乗って帰ろうとしたがふと駅前の横の路地を見ると小さな飲み屋街が線路にくっつくような感じである。その名前が「ほろよい横丁」。名前にひかれてついそちらに足が向かった。
そのなかの一軒の和風居酒屋に入り、ひとりでビールを飲んだ。踏切りのチンチンという音がひっきりなしに聞えてきた。