(巻二十四)水洟やことさらふかく争はず(望月健)
12月20日金曜日
要は馴れと諦めであります。
朝から掃除、布団干し、排水管の掃除とさばいたが、それでも
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そう思えば、
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水洟やことさらふかく争はず
でございますよ。
午後は散歩。
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戻って生協でバナナ、納豆(29日)、ヨーグルト(3日)、ミルク(29日)、などを調達し、さらに特定郵便局で年賀葉書を10枚買いました。7枚でよいのですが、印刷済みは5枚セットなのでやむを得ない。
賀状に近況を書くといっても特に書くこともない。いただいた賀状をみてもほとんど印刷文だけでありますな。賀状の意味は生存確認になりつつあるようだ。「健康に留意して百まで頑張ります。」も「仕方ないかなら死ぬまで生きてみます。」も、何か書いてある方が気味が悪い。
生きていることだけわかる年賀状(潤)
今年頂いた賀状の一枚に「今年限り」がありました。気付かずに書くところでした。
ありがとうこれでおしまい年賀状(潤)
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つちふるや嫌な奴との生きくらべ(藤田湘子)
があるが、生きているのか死んだのか分からない状態にしてしまえば、くだらない競争心も消えて穏やかな晩節となろう。
一枚の賀状も出さず遁世す(潤)
というのも有りだ。
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「タテマエとホンネ - 岸田秀」中公文庫 続ものぐさ精神分析 から
《世の中はタテマエで動いている。親は子を愛していることになっており、子は親に感謝していることになっている。学生は教師を尊敬していることになっており、教師は女子学生に性欲をもっていないことになっている。友人は助け合い、官吏は公僕として国民のために尽し、新聞は真実を報道することになっている。
タテマエはしばしばホンネと喰い違う。この場合、タテマエは欺瞞であり、そんなものはかなぐりすてて、ホンネ通りに、人間性のありのままの真実に忠実に生きればいいと言い切れるほど、事態は単純ではない。本当を言えば、親だからと言って、子に愛情がもてるとはかぎらない。馬鹿な教師はいっぱいいるし、尊敬しろと言っても無理だ。美人の女子学生を見れば、教師だって性欲を刺激される、ホンネ通りに行動すれば、つい邪魔な赤ちゃんは殺してコインロッカーへということになる。これは極端な例としても、人間関係はある共通のタテマエをたがいに守るということで成り立っている部分が大きいから、タテマエが崩れれば、人間関係は崩れる。》
今さらとはおもいましたが、読んでみました。
大学教授連の社会冷笑随筆・評論の類いですね。他のも読んでみてそれから評価です。