(巻三十三)灰皿は外にあります十日夜(斉藤宜子)
5月21日(巻三十三)
細君は生協に出かけて雨に降られて帰ってきた。往きにラッキー・ドクダミ(5枚花弁)を見つけたそうだが、復りにツキはなかったようだ。
昼飯どきに、新聞ネタのクイズを出された。
唇のぬくもりそめし桜かな(???)
寂しいと言い私を蔦にせよ(???)
の2句のうち、一句は神野紗希さんの句でもう一句はAI作だが、どちらがAIか当てよ、と云う。
これは正解できた。
昨日は総括審議官の年齢を当てよ、と来たがこれも正解している。
午後の散歩は3時過ぎから近場を少し歩いた。フーッ子には婆さんのほかにもパトロンがいて、自転車に乗った親爺さんに駆け寄っていた。図書館で3冊返して2冊借りたが、1冊は対談物でもう1冊も短品の詰め合わせだった。明日にも返そう。
行き帰りにドクダミを見たが、ラッキー・ドクダミは見つからず。
夕方、アリスの五十周年なんとかを見に来いと云うのでテレビの前に行った。ひとのことは言えないが、堀内さん!どうしたの?
願い事-生死直結で知らぬ間に細君より先に叶えてください。も~いいよ!
明日返してしまうつもりの池内紀さんのエッセイの中でここだけ書き残しておいた。
《僕もそうですが、孤独で死ぬのは嫌じゃないっていう人は多くなっているような気がしますね。最期の瞬間にね、「独りで寂しい」とか「誰かに会いたい」という気持ちなんかないと思います。
日本の代表的な歌人の一人の窪田空穂は九十歳の死の床で詠んでいます。
〈まつはただ意志あるのみの今日なれど眼[まなこ]つぶればまぶたの重し〉
詠嘆もせず、哀切の情も述べず、ただまぶたの重さだけを詠んで死んだ。大往生ですね。体があって、体が重いなあ、足を上げるのも重いなあ、寝返りを打つのも重い。まぶたを開けるのも重いな、そんな物理的な体の重さを感じながら、人間は死ぬんじゃないか。
僕にはそんな気がしますけどね。》
誰も死んだことないから分からないけれど、そうかもしれない。意志は要りません。希望としては“早く昏睡状態にしてください。さっさと終わりにしてください”だ。
まぶた重き仏を見たり深き春(細見綾子)