(巻三十三)指差せば指に乗りたる遠花火(木暮陶句郎)
5月1日日曜日
顔本から二人の方の誕生日だと教えられて絵文字をつけて祝辞を打つ。
俳壇が届くが無理して一句を選ぶこともないので、今週は書き留めた句無し。
昼前から雨が降りだし慌てて洗濯物を取り込む。
午後の散歩は出かけず、ただただ無為、無反応に時を過ごす。
無になりて身を預けたし大花野(小川晴子)
夜になり、少し無気力が解消し以下の作品を読んで御説に頷いた。
「極楽往生 - 野坂昭如」野坂昭如リターンズ2エロトピア から
《何故、人間は長生きをしたいかという質問に、万人の納得できる答えは、ないのだそうで、いろいろ考えても行きつく先は、生きていたいからだというような、しごく当たり前の結論になってしまう。
ある医学者の説によると、長生きしたいのは、死ぬ時の苦しみの少しでも軽やかなことをねがってであるといい、つまり、老衰という状態で死を迎えれば、ぼけているから、恐怖感も少い。死後の世界に怯えるよりも、死ぬ時の、こればかりは想像のつかない断末魔を怖がるのが、凡人だろうから、この説明はいくらか納得がいく。》
願い事-生死直結でころりと逝かせてください。コワクナイ、コワクナイ。でも凡人ですから怖い。
祝辞は打ったが、誕生日というのはメデタイ日なのか?始まりが忌日で終わりが祝日じゃないのかね!
When we are born, we cry that we are come to this great stage of fools.
https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2020/02/06/082909