(巻三十)冬の夜五彩の黒を着る男(九里順子)
8月12日木曜日
図書館から予約図書到着のメールが届いたが、借りている本が読み終わっていない。先週借りた本の中の『日本の名随筆26肴』、『日本の名随筆別巻24引越』、『現代日本のエッセイ「散歩者-永井龍男」』がまだ読み終わっていない。加えて、『仏教に学ぶ老い方・死に方-ひろさちや』の中の《第七章老いを楽しく生きるには》をコチコチしようかしまいか迷っているところだ。
死に方のHow
to本はどれも判り易く書いてある。それはいいのだが、コチコチしておいて後日文章を楽しむという作品ではないのだ。ちなみに七章の各節の見出は、
1、出世間人間になろう
2、ほとけの子になろう
3、自分自身と仲良くしよう
4、他人をそのまま肯定しよう
5、生き甲斐なんて要らない
6、明日の心配はしないでおこう
7、過去のことはくよくよ考えない
8、アマチュア精神に立脚しよう
9、進歩はなくていい
10、がんばらない・がんばらない
やはり、コチコチはやめておくことにした。
生き甲斐の手引書めくりいる晩夏(鯨井孝一)
午後からは雨になりそうなので午前中に散歩をした。今日は西に歩き農産高校から上千葉交通公園を訪れた。交通公園には家族連れが多い。盆休みに入ったのだろう。写真は上千葉交通公園のポニー乗り場側です。
午後になっても雨にはならず、4時ころ二度目の散歩をした。
本日は都合六千八百歩となったが、明日以降天気がどうなるやら?
願い事-叶えてください。
眠りは甘い。死はさらによい。最もよいことは生まれないことである。(ハイネ)
とおっしゃったそうだ。そうなのかもしれない。
ポニーを遠くから見たが、以下の話を思い出した。
> 「頭のよすぎる馬 - 井崎脩五郎」文春文庫 92年版ベスト・エッセイ集 から
>
> 競走馬というのは、あまり頭が良過ぎると駄目で、少しいいくらいが一番走ると言われている。かりに頭の良し悪しを通信簿のように五段階で評価すると、競走馬として理想的なのはオール四くらいの馬で、かつての名馬シンザンをはじめ、ハイセイコー、ミスターシービー、シンボリルドルフ、そしてオグリキャップといった馬は、みなこのオール四のタイプではないかと言われている。
> 頭の良過ぎる馬はなぜ駄目かというと、必死にならないからである。戦況を自分で勝手に判断して、きょうはどう頑張ったって無理と感じたら、レースを途中で投げ出してしまう。騎手がいくら叩いても、ほとんど我関せずで、お茶を濁したような走りしか見せない。無理は身体に毒と心得ているのである。それより何より、人間の遊びのために、どうして俺がそんなに懸命に駆けなきゃいけないんだと、頭のいい馬は考えてしまうふしがあるようだ。
> その頭のいい馬の代表例として、いまだに語り草になっている馬がいる。
> 昭和四十五年に生まれたマリノスターという馬だ。血統は父がマリーノで、母がロングライト。関東の加藤朝厩舎に所属した。
> この馬がとにかく人間を小馬鹿にして、まったく駆けようとしなかった。見てくれは悪くないのに、競走意欲はゼロ。どうして俺が、こんな人前に引っ張り出されて駆けなきゃいけないんだよ、おりゃやだよとばかりに、太々[ふてぶて]しい負けを繰り返した。
> 四歳の春にデヒューしたねだが、デヒュー戦が大差のシンガリ負けで、二戦目も大差のシンガリ。ともに後方のままで、見せ場などかけらもなかった。
> これじゃあ、あまりにもひどいから少し休ませようと、三カ月ばかり休養をとって出直した。
> ところがマリノスターはいっこうに改心せず、カムバックしたあとも惨敗を重ねた。三戦目も大差負けで、四戦目も大差負け。とうとう五戦目には、勝った馬から三十馬身以上も離されて、一カ月の出走停止処分をくらってしまったのである。
> もはやこれまで。
> オーナーもついに見切りをつけて、草競馬に売り飛ばしてしまおうという話が出たのだが、こんな馬では引き取り手がない。そうなると、あとはもう肉になるだけ。
> 「お前も人生失敗しちゃったなあ。悪いやつじゃないってことは分かるんだけど、もう少し一生懸命駆けなきゃ」
> 別れを惜しんだ厩務員が、最期の杯のつもりで、水のかわりに一升の酒をマリノスターに飲ませた。
> ここで初めてマリノスターは、厩務員のいつもと違う表情や、水とは違うものを差し出されたことで、自分がのっぴきならない立場に立たされていることにハッと気がついたのである。
> それこそ目つきが一変した。
> 馬房のなかで、早く外へ出せというようなそぶりをするので、ためしに馬場に出してみたところ、それまでのグータラぶりが嘘のようなシャキッとした走りをするではないか。
> なんだ、こいつ。馬がまるで変ったみたいじゃないかというので、アルコールが身体から消えるのを待ってレースに出したら、いきなり、勝ち馬との差が一秒三まで詰まった。そして、レースごとに徐々に差を詰めていって、ついに四歳の暮れ、デビュー十一戦目にして待望の初勝利。さらに明けて五歳時には二連勝までやってのけ、春の重賞の一つである小倉大賞典にまで出走した。ほんの一年前に、見どころなしの大差負けを繰り返していた馬とは、とても思えないような変身ぶりだった。その気になれば強かったのだ。
> いまでも、大差のシンガリでゴールインする馬を見ると、あいつ、もしかしたら頭いいんだろうなあと思うときがある。