巻四十三立読抜盗句歌集
たぐひなき名をもち月のこよひかな(良基)
後方は異変を知らず蟻の列(芹澤由美)
夏燕銭を使はぬ二三日(志村宗明)
暁の薄明に死をおもふことあり 除外例なき死といへるもの(斎藤茂吉)
わが色欲いまだ微[かす]かに残るころ 渋谷の駅にさしかかりけり(斎藤茂吉)
雪月花わけても花のえにしこそ(飯田龍太)
少年の見遣るは少女鳥雲に(中村草田男)
浮きもせず沈みもせずにただ金魚(熊川暁子)
団栗に終はる持物検査かな(深町明)
世の中や踊る裸体[はだか]も年の暮(永井荷風)
捨案山子安堵の顔をしてゐたり(山本けんえい)
まんまるな月を四角な窓に見る(広川良子)
身に入むや夫ふともらす一言に(永森ケイ子)
村じゅうを巡りて秋を惜みけり(北村純一)
アリバイの無き書庫におり今日の月(森沢程)
納豆の粘りのつよく今日の冬(川崎展宏)
餡パンに明治は生きて文化の日(岡部泉)
人生は陳腐なるかな走馬灯(高浜虚子)
湯気立てて曇りガラスの中に老ゆ(坊城俊樹)
日向ぼここのまま石になるもよし(栗田美代)
熱燗や壁に向きたる一人席(飯田閃朴)
ショール掛けてくださるように死は多分(池田澄子)
錠剤の一つ半端や秋暑し(尾崎八重子)
人避けて人に避けられ半夏生(市川蘆洲)
デジタルの世にながらへて蝿叩(脇坂規良)
親といふ夫婦見ている網戸かな(西やすのり)
しばらくはながめてをりし焚火かな(縣展子)
手焙[てあぶり]やあらかた尉[じょう]となる温[ぬく]み(上西左大信)
大根引く生きる意味など考へず(新藤共子)
西よりの貨物列車や秋の暮(沖省三)
名月や北国日和定めなき(芭蕉)
冬帽子人の頭のさびしさに(別所健二)
古暦人は忘るる知恵もてり(成瀬桜桃子)
息災に年金暮し古暦(芦川まり)
此の年を憎しと思ふ古暦(篠田純子)
事毎に齢諾ひ年つまる(宮崎トミ子)
目の覚めるところで覚めてお元日(鷹羽狩行)
そぞろ寒ゴムのゆるみしパジャマ捨て(行方克巳)
疫病[ときのけ]のマスク外せば秋の風(行方克巳)
蜘蛛の糸急にどうでもよくなりぬ(小林貴子)
風花や一歩いづれば旅ごころ(山口いさを)
飲めば生き飲まねば死すと寒見舞(福田甲子男)
薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫(松本たかし)
仮の世に取り残されて落葉掃く(近藤愛)
点滴に繋がれ夏のくたばり女(荒岡啓子)
新聞を読みつつ歩む冬の蝿(福本丈夫)
考へる葦ともならず枯れ急ぐ(伊藤伊那男)
けじめなく午後となりたる秋ついり(片山由美子)
老成と老衰の距離青葉道(小檜山繁子)
目を閉ぢてより本物の瀧の音(杉田菜穂)
冬蜂に蜜の記憶のありやなし(谷口智行)
恥部陰部さらして病めり冬が来る(たむらちせい)
警官の隠しどころの青芒(千葉皓史)
とある日の遠いところの水温む(角川春樹)
その辺がすぐにはうまくはゆかぬ春(西やすのり)
今生の桜と見しが又会えり(綾野南志)
金魚売りさほど売る気もないらしく(市堀玉宗)
ゆく年を封じ込めたる餃子食ふ(楠田英明)
幾万が身を占ふや冬の星(朝広三猫子)
数へ日や数へてをるは金ばかり(日原正彦)
躊躇[ためら]ひて点る街灯暮早し(田中芙美子)
綿虫の一匹付いて来る散歩(上甲澄子)
聞きとめてよりの水音敗荷[やぶれはす](村上鞆彦)
打水の最後はなんとなく捨てて(益岡グミ)
引き算の引かれる辛さ秋時雨(角田裕司)
米櫃へさらりと流す今年米(奥山功)
人の世に後るるもよし日向ぼこ(三宅久美子)
何事も無言の内はしずかなり(向井去来)
秋風や鮎焼く塩のこげ加減(永井荷風)
亡八[ぼうはち]に身をおとしけり河豚[ふくと]汁(永井荷風)
日向ぼこ風が現世に引き戻す(椋誠一朗)
美しき五月の晴の日も病みて(日野草城)
花見とふさみしき遊びするとせむ(黛執)
黒板を消してしまへば冬の虹(江崎紀和子)
鉛筆のすべりの悪き夜寒かな(杉山望)
梅が香や根岸の里の侘び居(八代目扇橋)
まだ尻を目で追ふ老や荷風の忌(小沢昭一)
四月馬鹿芝居のやうな月が出て(神吉拓郎)
かたくなに二月の雨に濡れてゆく(神吉拓郎)
行く年や今年の嘘をかぞへゐる(江國滋)
とりあへず割箸さがす毛虫かな(矢野誠一)
大寒や小さき風呂の熱きこと(阿部恭久)
凡庸を幸と悟れり古稀二月(川村園子)
ハーモニカにいくつもの部屋春うれひ(長谷川瞳)
ものの芽に空は光となりて降る(信里由美子)
紺絣[かすり]春月重く出でしかな(飯田龍太)
菜飯炊き今幸せと思ひけり(富井千鶴子)
そぞろ寒何か落して来たやうな(松島孝幸)
セーターで出掛けて済ます小買物(和田和子)
手をはなすやうに一葉の落ちにけり(岡本保)
花あやめ殺してくれと母の唇(伊藤美也子)
サトイモ科あやめ科菖蒲混乱す(矢島三栄子)
虫けらも我も野で泣く昼の星(増田まさみ)
学生でなくなりし日の桜かな(西村麒麟)
素晴しい一日だつた春愁ひ(阿部恭久)
貧家の子六十年後春の昼酒(遠藤敏明)
萩咲て家賃五円の家に住む(正岡子規)
六月を奇麗な風の吹くことよ(正岡子規)
草茂みベースボールの道白し(正岡子規)
先に逝くことも幸せ桃の花(河村章)
一本の桜に足りしし一日かな(山本幸子)
諦めの早さが取得大朝寝(あらゐひとし)
一人良し一人は淋し花に酌む(三宅久美子)
健康な春愁ですと精神医(徳永松雄)
花筏時の流れに身を任せ(荻原葉月)