
娘 西部智子 への遺書
僕は、穏やかな自然死などは望むべくもないので、また病院死における無益な孤独と無効の治療を忌むものですから、君にこれ以上の迷惑をかけたくないので、ここに自分の「生き方としての死に方」たる自裁死を選ぶことにしました。そうした考え方については僕の書物群に何度も説明している通りなので、君は、 たとえ同意されなくても、僕の気持ちは分かってくれると信じております。出来うれば、僕のことは早めに失念して、楽々悠々たる人生を送って下さい。お母さんへの世話のことを含め、君の両親への助力に深く感謝しております。一明君 (注、長男)、光世さん(注、その妻)と仲良くやって下さい。
なお、僕のことにかんし葬儀や墓標などは一切不要ですのでご承知おき下さい。ただし、僕の知人や友人から「飲食の催し」などの誘いがあれば受けてやって下さい。
最後にもう一度、有難う、左様なら
平成30年1月22日 西部邁
「警察および関係役所の各位」への遺書
私、職業上は評論家というものを生業とする七十八歳になるものですが、寄る年波みに加えて上半身神経痛の老病が治らず、また、やれる事はやり尽くし思い残すことは何もないという心境にあり、また、自分の生き方として、病院死は避けたいと考えて来たものですから、かかるかたちの死を選びとるのを止む無きに至りました。それ以外には、何の動機も原因もございません。とはいえ、かかる場所でかかる振る舞いを為すのは、公共の迷惑にあたるとは良く承知しております。それについては、関係各位に心からお詫びするほかございません。何卒、ご寛恕のほどを伏してお願い申し上げます。
私の二人の子供たちの連絡先は別の封筒の表書きにある通りでございます。連絡を取って頂きたくお願い申し上げます。